in ground level discussions






のせでんアートライン、ひきのの第二会場アステ6階にて、
"ART FOR IT in ground level discussions"展示始まりました。
11月2日まで、10:00-19:00 (最終日は17:00まで)やってます。
ちなみにひきのは、最終日まで現れません。ごめんなさい。
というのも明後日からアムステルダムとウィーンにちょっくら行ってくるっす。
いやー、今回のこのインスタレーションは難しかったー。
まず私一応ビデオアーティストとして10年やってきて初の映像なし!紙だけ。
"ファインアート"一本で勝負してるアーティストたちの度胸に改めて感服しますわ。
めっちゃ怖い。
次にこの会場の"無難な絨毯"の床。日本的な最近の量産的内装。
失礼ながらギャラリースペースとしての内装の機能が中途半端なので、(立地と大きさはめちゃ贅沢)、それを生かさず殺さず、"ダサく"ならないようにできるか苦心。
古典的なスタイルの絵画とか写真とかなら全く問題無いスペースと思います(フォロー)。
そして最後に、客層。市が管理してるフロアなので、
その市役所のカウンターや子育て支援センター、各種イベントなどで、
子ども連れや年配の人を中心に沢山の人が一日中利用している場所。
ガラス張りで丸見えのスペースなので、色んな人が通りがかりに覗き見してくれる。
「難しくて私には分からないわ」と何回言われたか、、、
久々に言われたこの言葉。
正直なお言葉だと思います。
誰にも分かんないもん。
今回の展示に向けて、
夜な夜な一人でドローイングをしてる段階から、これをみたら、あの人は、
「私にはこういうのは全然分からん」って言うんだろうなあ、
っていう想像と戦いながら描いてた。
NYにいる時、「NICE!!」と言いつつも
明らかに興味のないお客さんは居たけれど、
「難しい」とか「分からない」という単語が出てきたことは1度も無かった。
それでも「芸術は私には分からないわ」と諦めを言われたことは一度もない。
それは単に好みの問題だった。
だから別にお互いをけなしたりしなかった。
興味が少しでもあれば必ず質問してくるから、英語が堪能じゃない私が片言でもそれなりに説明できることをいつも意識していた。まあ正直、英語が下手すぎて何言ってるかほぼ分からないアーティストだったと思う。
それでも、見てもらいたいものがあったから、自分の見せ方を一生懸命考えた。
日常会話はしゃべれなくても、アメリカ人の友達が沢山居なくても、どうでもよかった。
ただ自分の作品について話す時の常套句をいつもメモしていた。
アーティストの話す会話のセンテンスを一生懸命聞いた。
質問してくれた相手の会話が聞き取れなかったときも、パニクって黙らないように、適当に自分の話をした。
それでも全然足りなかったけど、何も喋れずぼんやりとニヤニヤしてる奴にだけはなりたくなかった。
喋れない部分は、作品を通して人を巻き込んで、助けてもらうしか無かった。
そしてまず、作品を見てもらうチャンスを作って、そのチャンスは必ずものにすること。
その流れもあって、今回の川西の展示は、地元でやることもあったし、
私的には「説明しやすい」作品に自然になっていたと思う。
そういう感じの流れで地元に帰ってきて、
なんか久々に「分からん」に囲まれて、心に石を置かれたような感じがする。
「アート」といいながらダサいクラフトを見せられる感じも懐かしい。
繰り返される会話もすべてが懐かしい。
だからと言ってそこで思考が淀んでいく感じはもう嫌なので、
私はそれに対して反発するでも避けるでも肯定するでもなく、私に足りないものを考える。
私は別に何でもいいけど、気取らずにただ楽しく自由にやりたいのだ。
スタイリッシュでかつラフな、そういうスタイルで居たい。
つまり、
結論的には、今回ののせでんアートライン、私の作品が1番イケてる。
絶対そのうち勝ってやる。
すごく興味をもってくれてゆっくり見てくれた人や
色々質問してくれた人や、
意見を言ってくれた人や、
リピーターになってくれた人や、
作品に参加してくれた人もいました。
そういう人たちの一言一句を、大事に大事にしています。
そしてそういうリアクションに、
その場でちゃんと応えられるアーティストになりたいです。
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