HIKINO MAHO--blog




 
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art

メトロポリタン美術館に行った

授業でJapanese art セクションの『KIMONO』展を見に行き
着物に書かれている植物をスケッチしようということだったけど
気分がのらなかったのでエスケープして

2時間くらい館内を徘徊

エジプトのミイラの横をくぐり抜け
発掘された何千年も前の調度品も「ART」って表現されるのは
なんか不思議なんだよなと思いながら、西洋絵画のほうに

ゴッホやらモネやらセザンヌやらやらやら
いわゆる美術の教科書に載ってる超有名な絵画たち
見事なカタログをみているようだ。

しばらく美術書も美術館も遠ざかっていたせいで
作品から作家の名前を思いだせなくなってた
マティスが出てこなかった、そのレベルで思い出せない!
うーん。。。


悪くないけど、特別なものは何も感じないや。



Jackson Pollock, Barnet Newman, Mark Rothkoが
一つの視界に入る場所に出た



なぜか人が全然居ない、
ひとりっきり、ポロックの絵の前に立って
視界をまさに「オールオーバー」させてみる。

ポロックの絵に初めて会った時に、色んなことが変わった。
彼に陶酔していた時期もあったし、
(今でも彼の写真が部屋に貼ってあるけど)

でも今や、アート、というか、NYのアートシーンに対して、
もうどうにもならない胡散臭さを吐くくらい嗅いでしまったし、
ミーハーな感動も斜め目線で見るようになってしまった。
アノときと違う。


私をココまで連れてきた、
この絵画たちが私の心にまだ響くのかなって思いながら立ってみたら、、、


やっぱり最初に好きだと思ったものは、大好きなままだった。

ああ、よかった。



ニューマンとロスコ。
この日は大変寝不足で疲れていたので、そのお陰で、
この優しくて強い色が心にジンワリ染みわたった。
しっぽり。

疲れたから帰るという選択肢もあったかもしれないけど、
疲れているからこそ味わえるものというのもある。
この日だから見るべき絵がある。
このタイミングでこの絵の前に来れたことに感謝。


そのあとウォーホール、リキテンシュタインと。。
まあお手本通りの並び
正直私あんまりこのふたりに感銘を受けたことが無い。
でもなんか今日は、よい時代だなってしみじみ思ってしまった。
月並みな感想だけど。

私はお前ら世代のパッションに浮かされて
こんなところまで来てしまったんだから、
どうにか責任とってよ!と思うけどね。



その後
Amie Siegelという人のビデオインスタレーション

簡単に言うと
アートオークションで作品が競り落とされていく映像と、
その作品のストーリーを語る映像が、
裏表でプロジェクションされてる作品。
映像は非常に美しくてかつ淡々としてる。

てゆか今作家の名前調べてて
気付いたけど女性の作家なんだね、全然そんな感じしなかった。


見ながらちょっと泣いてしまった、
作家の意図とは違うかもしれないけど。

私は見ながら
「芸術は死んだ」ということを思っていた。


アートオークションで作品を競り落とす人たちを、
トンだ金持ちだと馬鹿にしたり、羨んだり、
なんだかんだそれで世界は回ってるんだからしょうが無いと言ってみたり。

でもほんとはそんなレベルに問題がある訳じゃない。

アートオークションに参加する人たちが、
アートなんかただの商売道具だと嘲笑してるならまだいいのに。
彼らには彼ら自身の高い美意識と人生観、そのセンスを信じる気持ちと愛情がある。

アートを取り囲む、この完成した世界に対して、
私が新しい波乱を起こしてみたいとか、
うまくやり過ごして生き残ってやろうとか、考えようも無いし、
資本主義が悪いとか責任の所在を考えることに意味も感じないし、
悲しいとか、腹が立つとか、もはや感じないし、
ただ馬鹿げてると溜め息をつく気にすら、ならない。

アートに価値を与えるこのシステムは、
決して虚構なんかじゃない!実体がある。
私たち自身の中に既に実体があるから。

むしろ「こっち」のほうが今や虚構なんだって。
絶望的だよね。

芸術は完全に、とっくの昔に、死んでしまったのだと。


ポロックだって、ウォーホールだって、
もっと言えば中世の時代に貴族の絵を描いていたような画家だって、
金儲けの道具としての絵描きであり、自由に絵を描けなかったことは事実、
けれどそれと違う、、
彼らは外部にぶち壊すべきものをもっていた。


「芸術が死んでる」
ってなんか感覚的にズーンって感じるものだから、上手く説明できないのだけど。




ヨーロッパの中世、近世あたり絵をくぐり抜けて
El Grecoで、今日最後の仕上げ
(というか中々これにたどり着けなくて彷徨っていた)

彼の絵は本当に良かった。

そして混んでた。
日本人のツアー観光客もいっぱいいた。


エルグレコは17世紀の画家なのに、
彼の描く絵は恐ろしいくらいにリアルで、
写実的という意味じゃなくて、
むしろ写実的じゃないことで、えぐり出すような実体がある。

芸術が死んでない。


でも何なんだろう、
彼の絵について、絵そのものの良さを見ている人も居るけど、

多くの人が語り、興味があるのは、その絵が持つ「ストーリー」だ。

モチーフとなった人物は、聖書のどの部分を示すか、
技法として何が優れているのか、
美術史的な文脈で、何が新しく、どんな影響を及ぼしたか、
彼がどんな人生を送ったか、
彼の死後から今此処までにどういう評価をされてきたか、
この絵がいくらするか、

すべては絵に付属する情報、ただのストーリー。
アートオークション会場の人たちが見ているものと同じ。

絵そのものの価値とは違うはず。
自分がこの絵の何に惹かれたか、もしくは何が気に食わないか、
本当に本当に大切なこととは違う。

この絵の評価を決めるのは、自分がバイヤーでない限り、
自分自身の(その日の)美的な感覚に触れたか触れなかったか、それだけで良いはずなのに。
いやバイヤーだったとしても最終的には、信じるべきはそこにあるはずなのに。



でも
描かれてから400年も経った今となっては、
そういう歴史的な意味付けのほうがはるかに価値があるように思われる。

例えばあの日美術館に行った人全員が
エルグレコの絵が大嫌いだと言ったとしても、その価値は変わらないんだから。

絵はどのくらい経ったら、そうなるんだろ。


いつだって絵画、というか芸術に求められるのは、
その作品に付属する情報を知って知識欲を埋めたい、
実際に有名な作品を見たっていう経験が欲しい、

分からなくはないが、
それだけで満足されることで、作家は嬉しいんかな?



よく分からない。



それにしても、
1ドルでココまで楽しめるとはNYやるな。

展覧会行ったり。 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

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