HIKINO MAHO--blog




 
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Chelsea Gallery

今日はチェルシーで、さくっとギャラリー巡り。

帰国まで後一ヶ月半、やりたいことやいきたいところを片付けるのが大変です。
行こう行こうと思いつつ、いつか、、になってしまってた場所がポロポロでてくるので、
チョロチョロ動いてます。今までギャラリーとか美術館ぜんぜん回れてなかったけど。
このペースで回っていると、右から左で多分すぐ忘れるので、備忘録です。


今日の一番の目的は
Gagosian galleryでやっている村上隆の個展。

村上隆は、まあとても、嫌いなんですけど、
NYで一番力のあるギャラリーで、時代の寵児・村上隆の新作の個展、となれば、
同時代を生きるアーティストとしてチェックしておかなければならないなと思って。

そういう私の先入観が働きすぎたのかもしれないけど、気分悪くなりました。
村上隆の「売り方」が全面に出てる感じが、
もう「日本人アーティスト」としても謎が多すぎた。
なんで絵が全部ズレてんの??

会場の人の、ミーハーな雰囲気半端無かったですが、
みんな感想として何を残しているんだろうって純粋に気になりました。

会場においてあったフリーの紙資料も、記念に持って帰っとこうかと手に取ったものの、
呪われそうな気がしたのでそっと戻しました。笑
会場で写真を撮る必要も感じませんでした。

つまりは、
たぶん忘れたくても忘れられないというか、パワーがすごかった。
私にとってはマイナスなパワーだけど。
そういう意味で、結局彼の作戦勝ちだよな。
やだな悔しい。後味悪い。


Andrea Rosen Gallery "Martha Rosler, Borna Sammak, Michael St. John"

Borna Sammakの作品、前にロウアーイーストサイドのギャラリーで偶然見て、
頭の片隅で覚えていたので、また出会って、刺激をくれることにちょっと感動する。

すごいかっこ良かった。

一緒にペインターの人と見てたので、どうやって作ってるか聞いたり、
会場の展示方法(たとえば作品の配置とか余白の取り方とか)話して、
どうやって自分らに反映させるか考えるのが楽しかった。

ねえ、そういった意味でも、村上隆の展示はNOOOPE


Mike Weiss Gallery "Cameron Gray: GYMNASTY"

大量のモニターのトンネル。ええなあー。
プロジェクターにしても、どの機材も丸見えで(狙って)雑な感じの設営なのが
今や見慣れてしまったけど。日本人は中々ここまで出来ないよなあ。
どうやって再生させてるのかとかメーカーとかチェック。

作品の雰囲気、あんまし好きじゃないのもあったけど、
ポップアートやるならココまでやらないと感はある。

インスタレーションの作り方として参考になりました。


C24 Gallery "DOMINGO ZAPATA"
ココまでコンテンポラリー系のギャラリーを見て、最後ベタ目なペインターの展示。

色やディティール、配置、奇をてらったものは無くてもぴしっと魅力的で、
パワーとセンスに突出したものを感じた、これぞアーティストと思う。

素晴らしい締め。

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art

メトロポリタン美術館に行った

授業でJapanese art セクションの『KIMONO』展を見に行き
着物に書かれている植物をスケッチしようということだったけど
気分がのらなかったのでエスケープして

2時間くらい館内を徘徊

エジプトのミイラの横をくぐり抜け
発掘された何千年も前の調度品も「ART」って表現されるのは
なんか不思議なんだよなと思いながら、西洋絵画のほうに

ゴッホやらモネやらセザンヌやらやらやら
いわゆる美術の教科書に載ってる超有名な絵画たち
見事なカタログをみているようだ。

しばらく美術書も美術館も遠ざかっていたせいで
作品から作家の名前を思いだせなくなってた
マティスが出てこなかった、そのレベルで思い出せない!
うーん。。。


悪くないけど、特別なものは何も感じないや。



Jackson Pollock, Barnet Newman, Mark Rothkoが
一つの視界に入る場所に出た



なぜか人が全然居ない、
ひとりっきり、ポロックの絵の前に立って
視界をまさに「オールオーバー」させてみる。

ポロックの絵に初めて会った時に、色んなことが変わった。
彼に陶酔していた時期もあったし、
(今でも彼の写真が部屋に貼ってあるけど)

でも今や、アート、というか、NYのアートシーンに対して、
もうどうにもならない胡散臭さを吐くくらい嗅いでしまったし、
ミーハーな感動も斜め目線で見るようになってしまった。
アノときと違う。


私をココまで連れてきた、
この絵画たちが私の心にまだ響くのかなって思いながら立ってみたら、、、


やっぱり最初に好きだと思ったものは、大好きなままだった。

ああ、よかった。



ニューマンとロスコ。
この日は大変寝不足で疲れていたので、そのお陰で、
この優しくて強い色が心にジンワリ染みわたった。
しっぽり。

疲れたから帰るという選択肢もあったかもしれないけど、
疲れているからこそ味わえるものというのもある。
この日だから見るべき絵がある。
このタイミングでこの絵の前に来れたことに感謝。


そのあとウォーホール、リキテンシュタインと。。
まあお手本通りの並び
正直私あんまりこのふたりに感銘を受けたことが無い。
でもなんか今日は、よい時代だなってしみじみ思ってしまった。
月並みな感想だけど。

私はお前ら世代のパッションに浮かされて
こんなところまで来てしまったんだから、
どうにか責任とってよ!と思うけどね。



その後
Amie Siegelという人のビデオインスタレーション

簡単に言うと
アートオークションで作品が競り落とされていく映像と、
その作品のストーリーを語る映像が、
裏表でプロジェクションされてる作品。
映像は非常に美しくてかつ淡々としてる。

てゆか今作家の名前調べてて
気付いたけど女性の作家なんだね、全然そんな感じしなかった。


見ながらちょっと泣いてしまった、
作家の意図とは違うかもしれないけど。

私は見ながら
「芸術は死んだ」ということを思っていた。


アートオークションで作品を競り落とす人たちを、
トンだ金持ちだと馬鹿にしたり、羨んだり、
なんだかんだそれで世界は回ってるんだからしょうが無いと言ってみたり。

でもほんとはそんなレベルに問題がある訳じゃない。

アートオークションに参加する人たちが、
アートなんかただの商売道具だと嘲笑してるならまだいいのに。
彼らには彼ら自身の高い美意識と人生観、そのセンスを信じる気持ちと愛情がある。

アートを取り囲む、この完成した世界に対して、
私が新しい波乱を起こしてみたいとか、
うまくやり過ごして生き残ってやろうとか、考えようも無いし、
資本主義が悪いとか責任の所在を考えることに意味も感じないし、
悲しいとか、腹が立つとか、もはや感じないし、
ただ馬鹿げてると溜め息をつく気にすら、ならない。

アートに価値を与えるこのシステムは、
決して虚構なんかじゃない!実体がある。
私たち自身の中に既に実体があるから。

むしろ「こっち」のほうが今や虚構なんだって。
絶望的だよね。

芸術は完全に、とっくの昔に、死んでしまったのだと。


ポロックだって、ウォーホールだって、
もっと言えば中世の時代に貴族の絵を描いていたような画家だって、
金儲けの道具としての絵描きであり、自由に絵を描けなかったことは事実、
けれどそれと違う、、
彼らは外部にぶち壊すべきものをもっていた。


「芸術が死んでる」
ってなんか感覚的にズーンって感じるものだから、上手く説明できないのだけど。




ヨーロッパの中世、近世あたり絵をくぐり抜けて
El Grecoで、今日最後の仕上げ
(というか中々これにたどり着けなくて彷徨っていた)

彼の絵は本当に良かった。

そして混んでた。
日本人のツアー観光客もいっぱいいた。


エルグレコは17世紀の画家なのに、
彼の描く絵は恐ろしいくらいにリアルで、
写実的という意味じゃなくて、
むしろ写実的じゃないことで、えぐり出すような実体がある。

芸術が死んでない。


でも何なんだろう、
彼の絵について、絵そのものの良さを見ている人も居るけど、

多くの人が語り、興味があるのは、その絵が持つ「ストーリー」だ。

モチーフとなった人物は、聖書のどの部分を示すか、
技法として何が優れているのか、
美術史的な文脈で、何が新しく、どんな影響を及ぼしたか、
彼がどんな人生を送ったか、
彼の死後から今此処までにどういう評価をされてきたか、
この絵がいくらするか、

すべては絵に付属する情報、ただのストーリー。
アートオークション会場の人たちが見ているものと同じ。

絵そのものの価値とは違うはず。
自分がこの絵の何に惹かれたか、もしくは何が気に食わないか、
本当に本当に大切なこととは違う。

この絵の評価を決めるのは、自分がバイヤーでない限り、
自分自身の(その日の)美的な感覚に触れたか触れなかったか、それだけで良いはずなのに。
いやバイヤーだったとしても最終的には、信じるべきはそこにあるはずなのに。



でも
描かれてから400年も経った今となっては、
そういう歴史的な意味付けのほうがはるかに価値があるように思われる。

例えばあの日美術館に行った人全員が
エルグレコの絵が大嫌いだと言ったとしても、その価値は変わらないんだから。

絵はどのくらい経ったら、そうなるんだろ。


いつだって絵画、というか芸術に求められるのは、
その作品に付属する情報を知って知識欲を埋めたい、
実際に有名な作品を見たっていう経験が欲しい、

分からなくはないが、
それだけで満足されることで、作家は嬉しいんかな?



よく分からない。



それにしても、
1ドルでココまで楽しめるとはNYやるな。

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Armory Show 2013



Armory Show 2013にいきました。

去年も滞在中開催して行かなきゃと思ってたんだけど、
何か行きませんでした。
今回は、J-ARTの展示会場で偶然知り合ったA君が
誘ってくれたので行けました。
行ったら楽しいんだけど出不精なんだよなー。



めっちゃ行ってよかったです!

作品数の多さ、会場の広さにまず驚き!
私は好きな作品だけゆっくり見るスタイルだけど、
それでも見るべき作品に何点も出会えて楽しくて幸せでした。
知らない作家にたくさん出会って、とても参考になったし、意欲もわきました。


"contemporary art"と"modern art"の2ブロッグに分けて展示がしてあって
恥ずかしながら、その区分が私にはよく分からなかったんですけど、
こういうことなんかーって何となく分かりました。

一般に日本でいう「現代アート」っていうのはなんなのかなって思いました。
なんか近代美術も入ってくる感じします。

日本の近代美術と西洋の近代美術って
全然意味が違うからその辺の違いからくるのしょうか?

そもそも「美術」とか「芸術」じゃなくて
「アート」って言い出す感じがあんまり好きじゃないんですけど、
まあ「アート」ってぼんやりしてて便利な言葉ですね。



ペンギンのたたずまい萌え。


日本と違ってアメリカもヨーロッパも
ギャラリーでも美術館でも写真は基本的に撮り放題なんですけど、
そこになんか意味が発生するような気がしてなりません。

一般の人でもiPhoneでぱしゃぱしゃ自分のコレクションに加えていけるし
ちょっといいカメラ持った人たちもたくさん来てて
みんな一生懸命写真取ってました。

そうすると、
写真に撮ったら意味不明になってしまう作品よりも
(色が凄く繊細で微妙だとか、輪郭がぼやっとしてるとか)
写真写りがパッとしてて簡単に絵になる作品の方が、
(色や形に存在感があるとか、派手であるとか)
シャッター切りたくなるじゃないですか。
だからそういう作品の前にはたくさんカメラを持った人がいて、
そうやって「どの作品を記憶に残していくか」、
ひいては「いい作品がどれだったか」が、
カメラのフィルター越しにどんどん選ばれて行く感じがしました。

もちろん、それだけじゃなくて
(写真に撮ったらよく分からないけど)この作品好きだなあって
思う気持ちが、みんなにないとも思わないし、
何が悪いとかいいたいんじゃなくて、
でも実際カメラ越しの世界で、生き残れる作品の力というものを見ました。



私も記録のために
キャプションをiPhoneで撮って
あとで思い出したりググったりするのに使ってます。とっても便利。
でも、作品自体を写真に撮ってしまったら、
あとで作品を思い出すときに、
その写真からのイメージ(印象)が先行してしまって
会場でその作品自体から感じた印象が薄れてしまう気がしています。

印象って、もやっとしてるから簡単に上塗りさせてしまうんです。
気に入った作品であればあるほど写真に撮りたくない!


文字に起こすにしても
写真に撮って残すにしても
イメージの変換という同じ問題は発生するし、
それがなければ明確に記憶したり人に伝えることが出来ない。

でも結局作品がそこに着地してしまうのだったら、
なんのために芸術を信じて、
なんのために作品を作るのか、分からなくないですか?


もうちょっと考えよう。
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クリア

最近見た展示

「夢か、現か、幻か」(映像)@国際美術館
「アートと音楽−新たな共感覚をもとめて」
「Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」@東京都現代美術館
「会田誠展:天才でごめんなさい」@森美術館
「感じる写真展- 4K PHOTO EXHIBITION」@ミッドタウン
「文化庁メディア芸術祭」@新美術館



文化庁メディア芸術祭の関連で、
私が同志社女子大学で一緒に制作を学んでいた
河野亜季ちゃんが展示をしています!

@ミッドタウン(六本木)、ガレリアB1アトリウム
24日まで


彼女は大学時代からアニメーションをやっていて、
東京藝術大学大学院に進んで制作を磨き、
今回の展示は、
文化庁メディア芸術祭から助成金をもらって制作したんだそうです。

素晴らしいですね!
見習わないといけないところがいっぱいあります。


今回の作品は、人形を使ったアニメーションでした。
源氏物語の「女郎蜘蛛」がモチーフでした。
昔より技術は格段に上がっているのだけど
でも作家としての眼差しというか愛情というかは
全く変わっていない感じがして、とても嬉しかったです。


展示スタートの日ということもあって
亜季ちゃんめちゃめちゃくたびれてたと思うのだけど、
会場でしばらく近況を語り合いました。


私は亜季ちゃんの考え方とか姿勢が凄く好きなんです。
力ずくとか計算でモノゴトを動かしたりしない人です。
神懸かり的なパワーです。
ネガティブなんだけど、愛に溢れてます。
これからもどんどんいい作品作って、
本当に素晴らしい作家になると、私は確信します。


お互いに大学を出てから、違う環境に飛び込んで、
お互い新しい世界で苦しみながらも、学び、制作をしてきました。
けれど、だからこそ、
こうしてまた出会った傍から
作品について、
自分の制作の意図や目標について、
業界周りについて、
今の問題点や悩みについて、
スッと語り合えるって素晴らしいじゃないですか!


私がNY行きが行き詰まって落ち込んだこと話したら、
亜季ちゃんはさらっと
「その1月頃に行ったらいかん何かがあったんよ。
多分そのとき行ってたら何か事故とかあったと思うよ。」と言いました。

わーーーー亜季ちゃんやーーーって思ったし、
そういう考え方もう全然頭にもなかったからハッとした。



NY行きなかなか進まなくてぐらぐらしてた頃、
「なんで?早く!」って思うばっかりでただしんどかった。
そのあと東京に来てからも、
「なんでこうなるんよ!」っていっぱい怒ったり泣いたりした。

周りの人間に腹が立つ、
それだけで毎日頭いっぱいになっていて、
そんな感じで色んなこと考えても考えても、
いくらポジティブになろうとしても、自分が変わらなきゃと思っても、
なんだか視界は暗いままだった。


でも今思えば、
そういう苦しさとか怒りとか無く
すんなりNYに旅立っていたとしたら、絶対駄目だった。

ここ2週間ほどの東京の滞在で
一緒に過ごせた人たち、
偶然会った人たち、
出会った作品。

なんだか思えば奇跡的なタイミングで色んなことがあって、
ひとつひとつに意味があった。

とても不思議だけど、
そうやって出国前に
今の自分の環境とその価値を
確認して、
感謝して、
ぶつかって、
ちゃんと清算、クリアにして、きちんと旅立つ
そのためのチャンスを貰えたんだなと、今思えます。




自分の気持ちを感じて、
周りの人たちの想いを感じて、
ひとつひとつの繋がりを信じて、

割り切れない気持ちも自分の中にぽっかり包んで進む、
そういう生き方、制作スタイルが、私のものなんだって
なんかやっと戻って来れた気がする。


そのための最後の布石が亜季ちゃんだったみたい。


ああやっと、巡り巡って、戻ってきた。
すごく遠かったけど、なんかこれ知ってる、不思議だな。
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あっ

あっという間に9月!
ですがまだまだ夏の野郎は元気ですね!
ごきげんいかが!


全力で夏を楽しみたい派のひきのは(体力無いけど)、
しばらくブログをサボっていましたが
その隙に、
BBQやら海やら川やら避暑地やら行ってました。


しかしその記録はまた後日にして、
アーティストひきのとしては
最近行った展覧会を書き留めておこうと思います。


「具体」−ニッポンの前衛 18年の軌跡 @国立新美術館
9月10日まで(月)
http://www.nact.jp/exhibition_special/2012/gutai/index.html

この展覧会は具体美術協会、吉原治良を中心に展開される展覧会なのですが、
私を最初に現代美術の世界に導いたのは吉原治良の絵画であり、
そしてその後も(「具体」という協会の存在を知る前から、)
好きになった多くの作家は「具体」のメンバーだったので、
是が非にでも見に行かなければならない展覧会でした。

強く強く惹き付けられる作品や作家が、
今なおとても大きな新鮮なパワーをもって
(私に)影響を与えてくれることを実感したし
とてつもない幸せを感じた。

そして吉原治良の言葉も
とてつもなく心に染みた。

本当に最高にいい展覧会でした。
都合が合う人は是非行ってみて欲しい!

図録も買って家でニヤニヤしてます。


「具体」が兵庫で活動していたことも
私は勝手に誇りに思ってます、私に関係あるような無いような。



アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る @森美術館
10月28日(日)
http://www.mori.art.museum/contents/arab_express/index.html

ドーハは美術の新しい拠点として今話題のスポットですね。
身近にもドーハに展覧会目的で行った人が何人かいます。
私としてはアラブに現代美術の展覧会を見に行くっていうのがなんだか
すごく不思議な感じがしてて、結構気になる。
でも村上隆うーんって感じです。

この展覧会に行ったのは
そういうキニナル感じをちょっとは消化できるかなーという気持ちと、
昔、森美術館でやったインドの現代美術の展覧会がすごくよかった記憶が
いまだに鮮明なのでそれに準ずる期待と、
あとは純粋にアラブってなんだろうって疑問だったので、訪れました。

だから普段は借りない、音声ガイドを借りて、
お勉強する感じで見ました。
もし行く人があったら、音声ガイドお勧めします。
単純に美術を楽しむっていうことならお勧めしないけど、
この展覧会の一番大きな意義は、「アラブを知る」ってことかなと思うので。
紛争のこと、歴史的なこと、宗教的なこと、経済的なこと、
切り込みとしてはかなり入りやすく
「アラブを知る」ことが出来るかなと思います。


まあ結局のところ、
紛争のこと、歴史的なこと、宗教的なこと、経済的なこと、から
抜きでた作品はなかったと思う。
むしろそれを中心にどの作品も構成されていて
個人的な新しい思考、芸術観みたいなものは感じなかった。


アラブ、に対する決まりきったイメージ、固定概念から脱却したい
新しい、今のアラブを知って欲しい
というメッセージが強く告げられていました。

で、結局?
新しいアラブとやらが目指す先ってなんなのか、分からない。
その先を、超個人的なものでいいから指し示してくれれば、
もっと面白いんじゃないかなと思う

「そうじゃないよ!」って叫ぶだけじゃ、モノ足りなんだよなー。

芸術は人々を導くものだと思うのだよな。


でも勿論行ってよかった、
アラブについて色々知れたこと、ただの教科書的な知識じゃなくて
もっと個人レベルな目線でアラブのことを作品が語ってくれたから
面白かったです。

おすすめします。
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生誕100年 ジャクソン・ポロック展

『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』@東京国立近代美術館
5月6日(日)まで(激混みらしいから気をつけてね)


これについて書かなくちゃいけない気がするけど
たぶんウマく書けない
なぜなら。。。

あまりよくなかった。

これはショッキングなんです。
なぜならとてもとてもとても楽しみにしてて
やっと行けた!という展覧会だったから!


ジャクソンポロックは、
私をこの道に導いた芸術家の一人でもあります。

「ジャクソン・ポロック展」なんてそんなことできちゃうんだ
夢のようだポワポワポワ〜ンとか思って期待しすぎたかもしれないね

もしくは思い入れが強い作家だから
世間から見られる「ジャクソン・ポロック像」みたいなのが
軽薄に思えてしまった


まあ私だって
作品かメディアを通さないとポロックには会えないから
私の「ジャクソン・ポロック像」が
正しいとかじゃないけど

でも愛している人のことってやっきになるでしょ?
そーゆーかんじ!




MOMAでみたポロックの方がぜんぜんよかったな
って当たり前なのかもしれないけど
でもなんだろう、あれだけすごい作品数揃えた割に
「どーん!」って感じがあんなに出せないとは思わなかった

もちろん作品自体は
見れて嬉しかった
展示空間の問題かな


なんだかむしろ私が感動したのは

いつも使ってる地味な駅に
「どーん!」ってでかいポロックの広告出てたり、
ホームの掲示板一面に
ポロックのポスター貼り巡らされていたり
したことのほうが楽しかったよ。

いつもの風景に
ポロックが切り込んできた感じがすごく好きだった。



ホームページのデザインは大嫌いだけどね!

・・・

ポロックの人生、人物像、って魅力的かもしれないけど
作品とそんなにくっつける必要があるんだろうか


最近の美術界事情としては
作品自体と一緒に
作家像というものも前面に売り出すのが流行なのかな

私も
彼の言葉に心から共感するし
彼の苦しみも痛いほど分かるし
彼のことはすごく近くに感じている
彼がすごく魅力的な人だって私も思う

彼が時代の寵児となって光を浴びて
ずっと苦しんで悩んで
絵を描けなくなって
絵を改革していくその変化は
たしかに面白いけれど
でも安っぽい売り方だね
今まで言われてきたポロック像をもう一回
同じ視点で撫で返されてもね


すごく変な人なんだね!
カッコいい人なんだね!
まさに芸術家だね!

ってそんなこと、
みんな言っていたなあ。



でもそこには
本当に本当に苦しい苦しい
でもただの人としての人生があるんだ

そこで彼の作品を長時間見るのは
結構辛くて
帰り際すごく暗い気持ちで帰った。
芸術家っていうのは
こうなの?こうなの?
今でも?


ポロックが、
酒場で女に
「私は画家だから、帰って絵を描かなくちゃいけない」と言っては
家に帰るんだけど、やっぱり描けない
そういう夜を繰り返していた
そういうぼんやりした苦しみの長い繰り返しを思うと
私はもうなんていうか
辛くなっちゃうんです。

でもその中で言う
「私は画家だから」という彼の言葉が
強くて、好き。

プライドだよな。
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Vivienne Westwood Shoes, An Exhibition 1973-2012


Vivienne Westwood Shoes, An Exhibition 1973-2012
(ヴィヴィアン・ウエストウッド シューズ展 1973-2012)
@表参道ヒルズ


またまたぎりぎり
展覧会最終日滑り込みセーフ

この世の中で
一番美しい曲線は
女性のハイヒールと足首のラインだと思って止まない

学生時代、暇さえあれば隙間さえあれば
ハイヒールを描きまくっていた私

Vivienneのハイヒールの曲線美しい
なかなか描けないのよ



Vivienneのショーの映像が会場で流れていたのだけど
ファッションショーってほんと総合芸術だなあて思った
音楽と照明と人間の身体と、ファッションと、スト−リー

女性の憧れっていうのかなあ
自分の身体に対する夢みたいなものとか
ファッションの歴史的な意味とか
そういうのがぎゅっと集結していてカッコいいじゃん
どちらかというと最近のショーより
ナオミキャンベル辺りのショーの方がカッコいいと思ったけど


それにしても
表参道ってキャッチ多すぎる

原宿から表参道まで10分くらい歩くだけで
必ず3,4人に声を掛けられる

これは必ずだ!自信をもって!

今日も片道3人ずつの勝率(^0^)/


あいつら絶対私のこと
暇な学生か何かだと思ってんだ
そして話してみたら
結構イってんじゃんとか思ってんだ

くそう
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美術館初め

今日は
2012年の美術館初めに行ってきました。
う〜ん、おおげさー

『ゼロ年代のベルリン
―わたしたちに許された特別な場所の現在(いま)』

『建築、アートがつくりだす新しい環境―これからの“感じ”』
@東京都現代美術館

ベルリンの方は
UDK(ベルリン芸術大学)と以前合同展覧会やった時も感じたけど
歴史、ストーリーの構築の上に
自分たちの世界やアイデンティティが成立しているのだということを
アーティストがすごく意識しているのを感じた
すごく建設的だ

そのうえですごく
挑戦的だった
戦争や人種や新しい破壊

歴史が語られていく中で
時代の中で生きていく中で
自分たちの今がいかに曖昧で
虚構に満ちているか

それをポエムな感じにぼかさないところが
強いよなあ。


建築の方はね
建築ってすごくおもしろいのだけど
建築模型とか見てても
どこまで本気なのか分からなくなるし
なんかすげー自己満というか
もはや暴力じゃないかと問いたくなるんだけど

実際の物とかみると
こういうことかと思うし
クロッシングな可能性がものすごい規模で広がっていて
やばいでしょ!って感じ

あと犬島とか豊島の
建築とか町並みとか作業風景とかがあって
とても嬉しかった

あと雲の生成マシーン(クラウドスケープ)ね!
もう閉館間近だったから他に鑑賞者の人が居なくて
ゆっくり雲の中を歩けたよ
美術館で、雲を作って歩くとか夢のようでしょ?
(でも雲ってあんなにクサいの?)


長谷川裕子さんの新刊買って
電車の中で読みながら帰った。




これから数週間、
あちこちの美術館が展示替えをやり始めるので
勝負だ。。

アレも見てない見なきゃコレも見てない見なきゃ
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三上晴子 欲望のコード

三上晴子 欲望のコード @ICC

メディアアートって
何がおもろいんじゃと腐ってた自分もいたのだけど
これみたら
久々にICC行ったら

なんだすげーカッコいいじゃん

知覚に対する思考が
挑戦的で若々しくてカッコいい


ただ「新しい」という感動を越えてきている
この時代に生きる私たちだからこそ
アナログからデジタルへ流動してきた私たちだからこそ
感じるその「新しい」感動と日常を

ほんの5年前なら
感動していたであろうセンサリング技術が
今や大した物じゃなくなっている
もはや日常を感じる

いま感動している新しいセンサリング技術も
そのうち
なんも珍しくなくなるのかもしれない

でも
それでも
それだから
今のこの時点で
私たちが
新しさと日常を感じるその次元に

まっすぐ挑戦していく姿がかっこいい

美しさは狭間に生まれるから
安定を求めたら駄目なんだ
ぎゅっとくるじゃないか


『プロポーション』真鍋大度+石橋素
まじかっこよかったな
ひとりで「かっこいい。。」と独り言をいう事態だった

メディアアートの
「未完成で不安定だけど許してちょ」的な空気が嫌いだったの
機材の不安定さや、作品の複雑さを
言葉でカバーする甘えた感じが嫌いだった
内輪でゴニョゴニョしてるだけじゃねーかというのが実際だった
でもそういうのなくなってきてる
そしてただ純粋に美しいな、楽しいなと思える次元を見た


文化庁メディア芸術祭も今日入賞作品発表でしたね
12月も半ば、オンシーズンですな

すごくいい意味で刺激されました


三上晴子 欲望のコード @ICC
今週末まで。
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野見山暁治展

野見山暁治展
@プリジストン美術館
〜12/25まで




私は抽象絵画を観るとき
基本的に
具体的なものに当てはめたり
具体的な言葉を充てたりしないのだけど
(ex.青い抽象絵画をみて「これは海に見える」と思ったりしない)

この展覧会に行って
どうやってこの絵を見るか
どうしたら楽しめるか、迷った


この絵は抽象絵画であるけれど
描いている対象は、あくまで具象である気がした

野見山暁治の絵画は
形式は抽象絵画に近いけれど、
描いている物は、
窓から見た景色や
毎日の生活から出てきた経験である。

抽象から生まれた抽象ではなく、
具象を破壊して生まれた抽象。


それを思わせる具体的なタイトルも付いていて
そこに引きずられる。
明らかに
人の顔を連想させるような記号が描かれていたりしていて
そこに引きずられる。


私は
抽象絵画としてただ単に色や形を楽しむだけで、
野見山暁治の絵画を完結させることが出来ない。

「この絵は、海の中に居て魚を眺めているのだな」とか
「この絵はいつものアトリエに座って、湖を眺めているのだな」とか

想像せずにはいられない。

いつもは抽象絵画に対してそういう見方をしないので
最初は少し気持ち悪かった
純粋に絵を楽しめないと思った。
でも、そのうち想像を具体的に膨らませるという行為が楽しくなり、
こういう抽象絵画もあっていいなと思った

いや結局具象か?


野見山暁治が一度破壊したものを
鑑賞者が再構築する

勿論、どんな絵画も作品も
そういう行為、意味を必ずはらんでいるけど

現代美術は
鑑賞者に対して
そういう行為、意味の自由度が高くなっている

何をしても自由なんて
悪い意味で
丸投げしていると思わせることもある


野見山暁治の場合は
作品中に足がかり、ヒントが用意されている

だから
その足がかりに、素直に足を突っ込み
ルートに乗ればいい
それでも結局行き着くところは
その人それぞれ違うのだし


だからブリジストン美術館だったのかと
腑に落ちる


野見山暁治のあとコレクション展で
ザオ・ウーキー《07.06.85》みて
ああ、明らかに違うと思った
ますます腑に落ちる

抽象、抽象と一言で片付かないのが面白いところ
展覧会行ったり。 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)